| 江別 ひとズームアップ - 最新エントリ |
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最新エントリ
2008/01/07
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カテゴリ: 2008 :
執筆者: staff (11:21 am)
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2007/12/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (11:40 am)
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2007年12月号 地域の子育てを支援しながらフルマラソンを走り抜く市民ランナー 鹿又眞理さん 江別市内で数人いるとされる女性のフルマラソン市民ランナーのひとり。マラソンを走るようになったきっかけは結婚後にパートで勤めていたスポーツ店の同僚に誘われたこと。学生時代から長距離走には多少自信があり、まず5kmに挑戦。「こんなに辛いとは」との挫折感からマラソン熱に火が灯りました。その後、10km、ハーフと距離を伸ばし、11年前の北海道マラソンでフルマラソンに初挑戦。そのときのタイムは3時間53分。1kmを約5分30秒ペースで走りました。その後11回の参加でのベストタイムは1kmを4分台後半で駆け抜ける3時間23分で、市民ランナーとしては上々の記録です。「走っているときはとにかく辛い」と話しますが、それでも走り続けるのは「走り終わった後の達成感が快感」で、いままで途中で棄権したことがないことも自慢。また、北海道マラソンでは30km付近に結婚した娘さんの家があり、「一番辛いときの娘と孫の応援が何よりのスペシャルドリンク」と完走の裏話も。平素は豊幌小学校で有償ボランティアとして地域の子ども達の子育てを支援しています。「豊幌はトレーニングする環境に恵まれているし、フルマラソンの完走者に贈られるメダルを子ども達に見せるととても喜んでくれる」ことなどを励みに、「参加者の最高齢者になるまで、走り続けたい」と笑います。豊幌美咲町在住。 |
2007/11/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (11:40 am)
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2007年11月号 「たかが万華鏡、されど万華鏡」でコミュニケーション力アップと癒しを提供 志田朋子さん 金属工芸コースを学んだ短大時代に七宝という加工金属に出会い、市内に玲工房を開設。近年では七宝のアクセサリーを本州のデパートの北海道物産展などで展示販売し、人気を博しているアクセサリー作家の志田朋子さんは、コミュニケーション能力を高めるコーチング・コーチという側面も持っています。自らの作品を流通業界にプレゼンテーションする必要から学んだコーチングでしたが、コーチング仲間でものづくりに興味がある4名で今年1月に「万華鏡倶楽部」を設立。その代表としてボランティア活動を展開しています。サッポロファクトリー内の万華鏡ショップ「きいちご」のオーナーに製作を頼まれたことが縁ではじめた万華鏡づくりですが、作り始めてみたところ「一瞬たりとも同じではなく、世界に一つだけの模様」の万華鏡のとりこになりました。日常と違う視界を見ることによって「集中してリラックスできる」万華鏡には癒しの効果もあるそうで、リサイクル材料でつくられた万華鏡を子供や高齢者らに寄贈しているほか、夏休みや冬休みには万華鏡をつくりながらコミュニケーション力やアイデアを拡げる目的も兼ねた子供教室「万華鏡のふしぎな世界」なども開催。来年1月11日(土)には大麻公民館で同子供教室が予定されています(問い合わせは玲工房・384−7233)。上江別在住。 |
2007/10/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (12:30 pm)
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2007年10月号 江別へのこだわりや愛情が高じて『「江別ばか」の会』を旗揚げ 中本毅彦さん 江別生まれの「生粋の江別っ子」として故郷・江別をこよなく愛する気持ちが高じて、3年ほど前に『「江別ばか」の会』を旗揚げしました。育った家は現在の江別神社の近くで、先代は江別米穀の初代社長。中本さんは旧制中学からは札幌などに通学、大卒後は札幌の会社に就職し、退職後は札幌市商店街振興組合連合会の事務局長を務めるなど、約50年間の通勤・通学生活を経験。常に江別と札幌を比較しながら、江別で暮らしてきました。「江別は活気のないマチといわれていますが、あるシンクタンクの予測では、北海道の都市で将来、人口が増えるのは江別のみ。気づいていない魅力や底力が何かしらあるはず」と、思いを込めます。その何かを探すために、石狩川エコミュージアム構想への参加や、江別アサヒビール会の幹事として、江別の地理や歴史を知る機会を提供するなど積極的に活動しています。『「江別ばか」の会』は、中本さんが副会長を務める江別ファイターズクラブの分科会的に誕生、その実態は「江別にこだわり、バカみたいに愛し、地元に頑張ってほしい」という気持ちの象徴とのことで、特に会員も募らず、具体的な活動も行っていませんが、「江別のために何かをやるときには『江別ばか』のネットワークとパワーは捨てたものではない」と熱く語ります。大麻中町在住。 |
2007/09/01
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (9:36 am)
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2007/08/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (11:50 am)
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2007年8月号 中津湖の浄化に尽力し、ウォーキングルートを整備 桑原則男さん 国道275号線の新石狩大橋を渡った左側には、蛇行していた石狩川のショートカットによってせき止められた旧石狩川に囲まれた中島地区があります。そのせき止められた川の一部分の土砂を汲み上げたところに水が溜まってできた沼に何時の頃からヘラブナが自然繁殖し、知る人ぞ知るヘラブナ釣りの名所に。釣り人からは砂取沼と呼ばれていましたが、地域などのゴミが大量に放棄され、釣り人以外は近寄らない荒れ地でした。これを嘆き、美化活動に乗り出したのが、隣接する篠津地区で農業を営む桑原則男さん。後継者難にあえぐ農業にあって、就農に手を挙げる若者が増えているという同地区の中で、「生まれ育った地域が荒廃しているのに心が痛み、後継者のためにも美しい自然に戻すべきと痛感した」と、10年前からゴミ拾いをはじめ、近年では大掛かりな浄化運動が行われて「中津湖」と命名。そして今年、周辺地区をウォーキングルートとして整備する「篠津兵村フットパス」プロジェクトを立ち上げ、今後の有効活用を探っています。「誰でもどうぞではありませんので、看板などは一切立てません。興味のある方は篠津まで足を運び近隣の農家に聞けば同ルートに辿り着くことができます」。篠津在住。問い合わせは自宅384−6392まで。 |
2007/07/01
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (9:48 am)
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2007/06/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (11:50 am)
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2007年6月号 あのザ・ウィンザーホテルに珈琲豆を提供も 街の珈琲豆屋にこだわり 小笠原均さん 昭和中期に旧石狩信金の店舗として建てられた重厚な店内に漂う香ばしいコーヒー豆の香り。扉一枚でお客を「珈琲ワールド」に引き込むノースライブコーヒー社長の小笠原均さんは岩手県出身の元大手銀行マン。札幌支店に転勤後、早期退職制度を利用して縁もゆかりもない北海道での定住を決意し、銀行勤務時に懇意にしていた東京の珈琲豆卸問屋ライブコーヒーで修行を積み、のれん分けとして北のノースを加えた店名をもらいました。9年前、ギャラリーを兼ねた珈琲豆屋を札幌市内でオープン、その1年半後に、原始林に憧れて住居を構えた江別への移転を決断し、野幌8丁目通り沿いの店舗を経て7年半前から現在地(野幌52−20)で営業しています。小笠原さんのコーヒー豆へのこだわりは、「美味しい珈琲を家庭や会社で飲んでもらうため」に値頃感のある価格設定と緻密な焙煎術。その味が人づてに伝わり、来年サミット会場となる洞爺湖ザ・ウィンザーホテルのほとんどの飲食施設にコーヒー豆を5年間、納めています。また、同店ではティスティングという意味合いから店内では250円でコーヒーを提供。その美味しいコーヒーをさらに引き立てるチーズケーキにもこだわりナムコのチーズケーキ博覧会にも出品中、味は絶品と評判です。野幌若葉町在住。 |
2007/05/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (11:50 am)
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2007年5月号 掲載101回、投稿の達人はリカちゃん着せ替え服づくりの達人 鎌田フミさん 16年前、腸内ガスによって死線を彷徨った頃からノートに文章を綴るようになりました。それから5年後に初投稿、5回目にして初掲載され、その後12年間で北海道新聞の「読者の声」欄などに101回、掲載されました。小さい頃から読書が好きで、今でも硬軟問わず興味のある書物は片っ端から読んでいるそう。「文章が書けるのはそのお陰かも。でも書きたいときだけ書いています」。投稿文の内容は身の回りのことがほとんどですが、鋭い分析や指摘が込められているものばかり。もう一つの名人芸はリカちゃんなどの着せ替え服の裁縫。ミシン歴は60年余りで、以前は婦人服や紳士服も縫っていました。きっかけはリカちゃん人形が好きだった娘さんから人形をプレゼントされたことで、小さい頃、人形ごっこも好きなった鎌田さんの心に火が付き、娘さんともども着せ替え服の裁縫などに没頭しました。その娘さんは9年前にガンで他界。「縫うことと書くことをやめないで」の意志を継ぎ、十数年間で縫った着せ替え服は約7000着。現在は「江別ぶらっと よってけ かってけ たべてけ屋」で1着200〜300円の廉価で展示販売されています。「好きなことをやっていられるので元気でいられる。果てる直前まで前へ前へ進みます」と笑います。元江別在住。 |
2007/04/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (12:00 pm)
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2007年4月号 サラリーマン経験を生かしながら地域医療に取り組む家庭医 山崎茂さん まるで落語家のような風貌と語り口。昨年7月に開業したウルトラ内科小児科クリニック(大麻栄町11−9)の山崎茂院長がユニークなのはそればかりではありません。大学卒業後、富士フイルムの研究所で研究員として10年以上サラリーマン生活を送ったのち、35歳で医大生となりました。そのきっかけは研究所での有機素材を使った医薬品の研究。医薬品に興味を持つうちに医学で社会貢献したいとの思いが募りました。医大生の頃から地域医療を志し、できるだけ早くに地域での開業をめざし、「365日働いていた」という3年間の勤務医を経て念願の開業。開業するなら育った大麻地区でとの願いも叶いました。医院名のウルトラは明るい診療所にしたかったから。その名の通り、院内は医療業者などが持ち寄ったウルトラマングッズで溢れていますが、明るいのは医院名だけではなく、サラリーマン時代に結婚式の司会を多数頼まれたという、よどみない弁舌と愛想の良さが看護士や受付など院内に拡がり、病院独自の張りつめた雰囲気はありません。「お年寄りと子ども達が元気に暮らせる地域社会に貢献」との理念のもと、「患者の立場にいた時間が長かったので、両方の立場で患者さんに接していきたい」と笑顔で話します。 |
2007/03/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (12:00 pm)
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2007年3月号 お花から何を引き出すかを、追い続ける“大正女” 浅野つや さん 華道教授歴52年。江別の華道界の重鎮として現在も活動しています。浅野さんが池坊華道会で華道を学びはじめたのは昭和20年代。それから2年ほどの異例の速さで教授となり、追分町や札幌市などで教えてきました。江別には夫の転勤で昭和42年に着任。それ以来40年近くに渡ってさまざまな活動に携わってきました。その一つが市内の小中学生に日本の伝統文化などを伝える土曜広場。茶道や囲碁、手編み、和太鼓、木工などとともに講座となっている華道を2年前まで担当し、土曜日の午前中2時間、ボランティアとして4年前、教えてきました。「子ども達は個性豊かで、その子どもの『らしさ』が如実に作品に出るのが楽しかった」と浅野さんは振り返り、「来年も、来年もで、4年間続きました」と笑います。大正5年生まれですが、まだまだ現役。池坊華道会の最高位となる総華督の地位にいますが、「いつまでも勉強しなければダメという気持ちは変わらない」と、毎年、家元による研修会にはかならず参加して研鑽を続けています。「和の精神で、お花そのものから何を引き出すか」が華道の難しさでもあり魅力でもあると浅野さん。現在も自宅や公民館などで週に1、2回、華道教室を行っています。野幌町在住。 |
2007/02/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (12:00 pm)
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2007年2月号 日本女性初の五輪100mスプリンターをめざす大麻っ子 北風沙織さん 大学陸上の最高峰・全日本インカレ女子100mで優勝、日本選手権で5位、12月にカタールのドーハで行われたアジア大会では7位という戦歴を残す北風さん。その脚力は大麻小の低学年当時から際だち、全国を意識しはじめた小学6年のときに100m13秒を切り、中学1年で12秒6という記録を樹立。大麻中から恵庭北高を得て、現在、浅井学園大3年に在籍しています。両親ともに短距離選手だったという血筋を引き継ぎ、中学時代は大麻中で陸上部の外部コーチを務める父親と二人三脚で記録を伸ばしました。過去に有力選手を育てた監督がコーチを務める恵庭北高3年で全国1位に、現在でも同コーチの指導を受けています。ベスト記録は日本記録に0秒2まで迫る11秒56。オリンピック出場の資格を得るB標準タイム11秒40も目の前です。課題は後半の走力。身長151cmと小柄でスライドが小さいというハンディをスタートダッシュで補うものの、そのスタートダッシュでパワーを使いすぎて後半失速しがちとか。しかし、「陸上で辛いと感じたことがない」と言い切る21歳は、日本記録の更新と来年の北京五輪での日本女性初の100mスプリンターをめざしています。大麻桜木町在住。 |
2007/01/07
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カテゴリ: 2007 :
執筆者: staff (12:10 pm)
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2007年1月号 全国競技会で優勝。削蹄の技術を後進にに伝えたい 久津間 正登(まさと)さん 第49回全国牛削蹄競技会で石狩管内で初となる優勝を飾りました。牛の削蹄とは、牛の健康管理や蹄痛をなくすために、牛の蹄を切ること。正登さんは久津間装蹄所の牛削蹄師として道央圏の牧場を中心に乳牛や肉牛の削蹄に日々奔走しています。正登さんは3代目ですが、社名の装蹄所が示す通り、もともとは初代の祖父が馬の蹄を装蹄する工場を設立。約30年前までは現在の北海道銀行野幌支店に工場がありました。また、正登さんは大学のデザイン科の卒業で、上川管内東川町の家具メーカーに2年間勤務。「体を使う仕事なので、コツを身につけるのには修行開始は25歳まで」と漠然と感じていた24歳のとき、兄弟子が急病に。「看板を守りたい」という思いもあって、門を叩き、牛の足持ちという助手からスタート。同大会には8年前から出場していますが、4年前から道内予選を突破して全国大会に出場、一昨年の準優勝を上回る頂点に立ちました。この仕事の醍醐味は「人間の10倍以上の体重の牛の足を持って削蹄するのは力づくではできません。いかに牛の体をバランス良く保定できるか、この感覚と技ですね」と語る正登さん。親方である実父と兄弟子、5人の助手が2〜3人でチームを組んで1日に50頭前後の牛を削蹄しています。夢は「この技術を4代目に伝えていくこと」。できれば、3人の息子の中から親子2代にわたるチャンピオンの誕生を願っています。野幌代々木町在住。 |


01春のイベント
北海鳴子まつり
2007
